奥さんが運営している卓球教室で、とある高校生のお母さん(東京都で柔道1位)とのこぼれ話になるんですが

「完全予約制」の『個人レッスン専門』卓球教室 バランス卓球塾 



奥さん→以下、奥
お母さん→以下、母

奥「ツッツキとかコースもバレバレだし、低いわけでもないし、切れてるわけでもないから何かしら得意な工夫しないと」

母「そうそう!私もそう思ってた。上で見ててもどこに来るかバレバレだよねー」

母「しかもさぁ、部活の練習休みの日は休みたいとかさぁ!勝ちたいと思ったら逆でしょ。みんながやってないときにやらないと」

母「亜紀コーチは私がやってほしいと思う、厳しい練習とか○○の課題をしっかり克服するような練習してくれるから通わせてるんだよね」

母「あいつは甘ちゃんだから」


自宅にて

奥「お母さんがなんとなく共通の考え持ってるからやりやすいよー」

X「ガチでスポーツやってたから何となくそういう感覚があるのかね?」

奥「そうかもねー」

奥「まあ、楽しみたいとか習い事とかそういう感覚で来てくれるならそういうのでも全然かまわないけど、ある程度のレベルで勝ちたいってときに感覚で共有できてるのは助かるね」


卓球上級者や優秀な指導者の感覚や視点の言語化に取り組んできましたが、身体操法などに取り組むにつれて言語化しようとすると余計にわからん。ということがありますので。

要は

感覚の言語化→体験なのか

体験→感覚の言語化なのか



今は言語化して複雑になったり、話があまりにも長くなるようだったら感覚としての体験も全然アリでしょ。と思っている自分がいます。