【Xia】努力できる人と出来ない人の違い 2017年09月20日 07:27 色々詰まってブログが後手後手に、、、 というわけで今日はよく読んでいるブログの1記事を紹介しようと思います。 http://blog.tinect.jp/?p=14757 この記事だけではなく、卓球に置き換えて参考になる記事がたくさんあるので 興味がある方は色んな記事を見てみてください。 「Xia論法」カテゴリの最新記事 < 前の記事次の記事 > コメント コメント一覧 (3) 1. 馬龍 2017年09月21日 02:07 「努力」と思ってしまった時点で、もうそれは辛いことに耐える、ということになってしまってますよね。 本来の目的としては努力する事自体ではなく目標を達成する事、すなわち成功する事ですが、成功するための手段を「努力」と思ってしまっている時点で、もうそれは損しているのかと。 僕は高校時代毎日13時間勉強していました。 その結果、無事目標を達成する事が出来ましたが、その3年間は決して辛いものではなく、その瞬間瞬間で見れば常に楽しんでいた様に思います。 周りからはどうすればそんなに努力出来るんだとよく聞かれていましたが、僕としては別段努力しているつもりもありませんでした。 勉強が好きなんだねと言われればそれまでですが、どうしてそれだけ続けられたのかを振り返ってみると「大目標を達成するために、小目標を設定しそれをクリアしていく。その小さな成功体験が次の小目標達成へのモチベーションとなり、そのサイクルを繰り返していく内に、自ずと大目標を達成するところまで到達していた」のだと思います。 2. 馬龍 2017年09月21日 02:07 社会人になって早10年近く経ちますが、その情熱は現在全て卓球に注がれています笑 サーブ練、気づけば5時間くらいやり続けていることもあったりします。やはり周りからはそんなやっててよく飽きないね、と言われますが、僕にとってはサーブ練も対人のドライブ連打も、3球目も、フットワーク練も全て同じで、一球を重ねるごとに感覚が向上しているあの感じが嬉しく、身体が動かなくなるまではいつまででも楽しんでやっていられます。 Xiaさんもよくおっしゃられていますが、練習することとは感覚を磨くことであり、今からやる練習で何の感覚を磨こうとしているか、が小目標の設定に当たるのかと思います。 読み返して見ればひじょーーに長くなってしまいましたが、卓球において努力を続けられる人とは、「試合で1点多く取れる様になるために、今の自分が何を克服(練習)すべきかが分かっている人」かつ「克服するための正しい努力(練習)が出来る人」なのでは無いかと考えます。 以上、長い独り言でした。 3. コゲチャ 2017年09月21日 07:13 目標を果たすための準備ができるかどうか…目標を大会で勝つこととしたとして、今から大会までの残り時間がどれくらいあるか。残り時間でできることは何か。それらがとりあえず見えてきたら、あとはやるだけ。 私も努力という言葉に精神論的なニュアンスを感じてしまうのですが、要は正しい(と思える)習慣を身につけることができるかどうか、なんだろうなと読んでて思いました。そう考えると、ビート板としてのコーチの存在は大きいなと。 コメントフォーム 名前 コメント 評価する リセット リセット 顔 星 投稿する 情報を記憶
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コメント一覧 (3)
本来の目的としては努力する事自体ではなく目標を達成する事、すなわち成功する事ですが、成功するための手段を「努力」と思ってしまっている時点で、もうそれは損しているのかと。
僕は高校時代毎日13時間勉強していました。
その結果、無事目標を達成する事が出来ましたが、その3年間は決して辛いものではなく、その瞬間瞬間で見れば常に楽しんでいた様に思います。
周りからはどうすればそんなに努力出来るんだとよく聞かれていましたが、僕としては別段努力しているつもりもありませんでした。
勉強が好きなんだねと言われればそれまでですが、どうしてそれだけ続けられたのかを振り返ってみると「大目標を達成するために、小目標を設定しそれをクリアしていく。その小さな成功体験が次の小目標達成へのモチベーションとなり、そのサイクルを繰り返していく内に、自ずと大目標を達成するところまで到達していた」のだと思います。
サーブ練、気づけば5時間くらいやり続けていることもあったりします。やはり周りからはそんなやっててよく飽きないね、と言われますが、僕にとってはサーブ練も対人のドライブ連打も、3球目も、フットワーク練も全て同じで、一球を重ねるごとに感覚が向上しているあの感じが嬉しく、身体が動かなくなるまではいつまででも楽しんでやっていられます。
Xiaさんもよくおっしゃられていますが、練習することとは感覚を磨くことであり、今からやる練習で何の感覚を磨こうとしているか、が小目標の設定に当たるのかと思います。
読み返して見ればひじょーーに長くなってしまいましたが、卓球において努力を続けられる人とは、「試合で1点多く取れる様になるために、今の自分が何を克服(練習)すべきかが分かっている人」かつ「克服するための正しい努力(練習)が出来る人」なのでは無いかと考えます。
以上、長い独り言でした。
私も努力という言葉に精神論的なニュアンスを感じてしまうのですが、要は正しい(と思える)習慣を身につけることができるかどうか、なんだろうなと読んでて思いました。そう考えると、ビート板としてのコーチの存在は大きいなと。