指導者がいないVS間違ったことを教える指導者
コメントありがとうございました!
-----
私の回答は・・・
「間違ったことを教えても指導者がいたほうがいい」です。
コメント欄にも、松岡修造なら中体連の全国大会まで導けそうとありますが
中学生くらいまでの時期なら指導の内容よりも「球をたくさん打つ」「練習相手」など練習量や環境面の整備が重要視されると考えるからです。
もちろん、そこに質の良い(上手くなる強くなるの直結)練習がくっついてれば尚良しです。
年代が上がっていくにつれて、量よりも専門的な指導や質の良い練習、技術の追求などが求められます。
私自身、ただひたすら量をこなしていただけの期間が長く、ようやく社会人になって質がちょっとずつ追求出来てきたかなという状態だったので、全国の本当のトップには登れなかったということですね(悲)
性善説なのか性悪説なのか
「性悪説」とは?
それは人によって異なると思いますが
今まで部活動の現場を見たり体験していると・・・90%くらいの選手は自分で自分を管理できないので
「見張り」ではないですけど、ちゃんと現場を見てくれる人は必要かなと思います。
ただ、最後は
「好きこそものの上手なれ」
自分が上達するためにいくらでもやれますよ!(ただ卓球をやるではなく、上達のために自分を律することができる)
こんな人がトップに行くんだろうなと思います。
コメントありがとうございました!
-----
- 自分も中学の時は情熱のある未経験の先生でした。全員中学スタートでしたが、団体では東海大会目前までのチームになりました。練習法に関しては今ならもっと良い練習メニューを組めると思いますし、違うなと思う練習もあったと思います。ただ別の先生ではそこまでのチームにならなかったと思います。とにかく、やる気にさせるのが上手い。皆、自主的に練習をやるようになりました。そういう情熱を子供たちに持たせること、大人になっても良い先生だったと思うパーソナリティは多少の技術指導の誤りよりも大事かなと思います。
- その指導者がメンターとして機能していれば、チームは強くなりそうな気がします。
松岡修造だったら、未経験の競技の指導者をさせられたとしても中体連の全国大会くらいまでなら導いてくれる(やる気を引き出してくれる)んじゃないかな?と思っています。
あとは、「間違ったこと」の程度にもよりそうですね。
せやかて工藤、今は増刷された『卓球の教え方の教科書』というバイブルがあるからの!間違ったことにならへんで!というのがXiaさんの“一つの結論というか答え”ということで。
- その指導者がメンターとして機能していれば、チームは強くなりそうな気がします。
- 極論として面白そうなテーマですね!
性善説、つまり指導者さんが原則として少なからずの情熱と、生徒に上手くなってもらいたいという気持ちがあるのならば、指導者がいたほうがずっといいと思います。
多少間違ったことを言ったとしても。人間、一人より二人ですよ(笑)。
実際、どんな上級者でも教える立場としては上級者じゃあないのは当然ですし、教える側が正しい指導をしても教わる側が正しく解釈するとは限らない等、いろんな齟齬があるのも当然ですし。
まあ、自分自身の現実を省みますと、知識のアップデートがされずに、教わる側と知識や意識を共有しないままに頼んでもないのにに押し付けてくる即席指導者は、ホントーに迷惑で嫌いですけどね。一般のスポーツセンターにも、ネットにもよく出現しますが。そう感じるのは人間が未熟なのでしょう(笑)
- 極論として面白そうなテーマですね!
- 間違った指導の下に間違った方向に技術なり戦術なりを身に着けたとして、実際の試合で「これ間違ってるんじゃね?」と気づけるのであれば、それをきっかけにより間違っていない方向に向かえると思うのですが、ゼロはどうがんばってもゼロですし。
- 間違っていても指導者(という立場の人)はいた方が良いと思います。
ティーチングという断面で観たときに、指導者がいかなる指導をするのかはコントロールできません。その善し悪しは選手側が受け入れられないなら、極論受け入れなければよい(もちろん昔の現場ではありえませんが)のでしょうが、方向を指し示す人がいなければ、何をすべきか、優先順位は何かを含めてバラバラになります。
もちろん、理想を言えばコーチングができる指導者に巡り合えれば最高でしょうし、指導者がいなくても勝手に強くなる選手もいるかもしれません。
が、少なくとも今のトップ選手に指導者なしで大成した選手は皆無だと思います。
- 間違っていても指導者(という立場の人)はいた方が良いと思います。
私の回答は・・・
「間違ったことを教えても指導者がいたほうがいい」です。
コメント欄にも、松岡修造なら中体連の全国大会まで導けそうとありますが
中学生くらいまでの時期なら指導の内容よりも「球をたくさん打つ」「練習相手」など練習量や環境面の整備が重要視されると考えるからです。
もちろん、そこに質の良い(上手くなる強くなるの直結)練習がくっついてれば尚良しです。
年代が上がっていくにつれて、量よりも専門的な指導や質の良い練習、技術の追求などが求められます。
私自身、ただひたすら量をこなしていただけの期間が長く、ようやく社会人になって質がちょっとずつ追求出来てきたかなという状態だったので、全国の本当のトップには登れなかったということですね(悲)
性善説なのか性悪説なのか
「性悪説」とは?
それは人によって異なると思いますが
今まで部活動の現場を見たり体験していると・・・90%くらいの選手は自分で自分を管理できないので
「見張り」ではないですけど、ちゃんと現場を見てくれる人は必要かなと思います。
ただ、最後は
「好きこそものの上手なれ」
自分が上達するためにいくらでもやれますよ!(ただ卓球をやるではなく、上達のために自分を律することができる)
こんな人がトップに行くんだろうなと思います。