本日は「考える基本練習」(粒高プレーヤー編)を紹介します。
基本練習はワンコースでの単調な練習が多くなるため、意識の差が練習の質に顕著に表れます。
基本練習はワンコースでの単調な練習が多くなるため、意識の差が練習の質に顕著に表れます。
日本電産創業者の永守重信氏は「能力の差は5倍、意識の差は100倍」と言いました。
卓球も同じく、始めたころはもちろん全員素人なので大きな差はありません。
しかし、同じ環境、同じ練習なのに、いつの間にか差が開いているケースが多くありますよね。
それはこういった目に見えない意識の差、もしくは小さな違いからなのだと思います。
私は練習メニュー自体に大きな意味は存在せず、自分の意識で意味を付け加えていくものだと考えています。
しかし、同じ環境、同じ練習なのに、いつの間にか差が開いているケースが多くありますよね。
それはこういった目に見えない意識の差、もしくは小さな違いからなのだと思います。
私は練習メニュー自体に大きな意味は存在せず、自分の意識で意味を付け加えていくものだと考えています。
この動画が役に立った!面白かった!という方は高評価とチャンネル登録をお願いします。
コメント
コメント一覧 (4)
意識の高さの一つに「段階の多さ」ですね。
『ベイビーステップ(13)』(講談社)で主人公の丸尾 栄一郎君は
左利きの荒谷 寛君に対して「36分の1コントロール」という
"安全策"を採ってプレーし、左利き特有の球筋やタイミングに慣れることで
状況を打開していましたね。
普段から「100分の1コントロールを身につけよう」と高い意識を持ってやれば
「段階の多さ」が身につき自分の助けとなるんですね。
『野村ノート』(小学館)では巻末においてストライクゾーンが
5×5の25マスに分割されてますね。
卓球のコートは何分割で考えるのが
実用的に分かりやすいんでしょうかね。
お互いの認識の違い、みたいなものを感じました(本当は個人的には勝手にXiaさんと、がね君の動画を見てからはずっと感じてはいたけど...)。
自分はもうそろそろ40歳になりますので、その世代の学生時代の運動部に対する先輩の親心、それを受ける後輩のビビり・・・(つまり先輩は良かれ(中には意地悪でやっていた先輩もいると思うけど)、本当に後輩のためにやっているつもりなんだけど、後輩からしたら、先輩がただただ無茶ブリしてる!!みたいな感じ?要は先輩の意図が伝わっていない)みたいな。
前にXiaさんが竹刀持って出た動画がありましたよね?
現代で見るあの動画ではもしかしたらネタとしてしか受けてもらえないかもしれませんが、昔の指導者の指針としては「俺の意図が(仮に)伝わっていなくてもコレをやれ!!」みたいなところがあると思います!
でもそれは、その指導者は多分、大体(レベルの話になってしまうのかな?)はその手法で勝てる!!教えて勝った実績のある人の意見なのでは?と感じます!!
もしがね君が違うと感じれば、その感覚を後世に伝えれば良いと思いますし、現状で世代の上の人が伝えることに対して違和感を感じるのであれば、その感じたコトを自分よりも若い世代に伝えていけば良いと思います!!
とりとめのない文になってしまい、申し訳ありませんでした!!
「私は練習メニュー自体に大きな意味は存在せず、自分の意識で意味を付け加えていくものだと考えています。」
この文を読んでも押し付けと思うんですか?他の記事や動画でも押し付けよりも自分で考えることの大切さや、意図、意味を意識することの大切さを考えさせられるものばかりで、初心者受けするようなスーパーサーブやスーパーショットの動画はほとんどありません。竹刀を持ってるから何ですか?単純にギャグとして受け取ればいいんじゃないですか?厳しい表現も、そこはxiaさん、ガネさんとの信頼関係でしょう。そんなことを指摘することに何の意味がありますかね?それでも単純に上級者の経験の押し付けと思うのであれば、今までの記事や動画をもう一度見直すべきだと思います。
対ドライブの最初のボール(5分47秒からの「おいー、・・・論外です」)でがねさんとすれば思ったよりボールの威力を感じた→オーバーミスしないようにラケット面をかぶせる意識が働いた、とか、それまでの練習で打球点を早くとる感じをつかんでいて、この場面でも(威力あるドライブに対してなのにそれまでの軽いボールと同じ感覚で)打球点を早くとりすぎた、とか。
普段からボールを打ち慣れている2人なのでXiaさんから見ると「いつもよりミスが多い、意識が低い」と思われたのだと思いますが、Xiaさんから見てこの場面のミスの技術的な原因はなにか思い当たりますか?