ここ最近、思っていることなんですが。

正解のないものにはやっぱりゴールを決めなきゃ(定義しなきゃ)ダメだなと。


例えば「ドライブ覚えたいんです。教えてください」という場面で

これを発言した、教わる側

これを受け取る、教える側

そして、ドライブの共有

ゴールの設定と共有がされなければ、延々とドライブ指導地獄が待っているなー。と。


これは言葉でもいいし、映像でもいいと思うんです。


2人でゴールのイメージが出来れば。


馬龍のドライブと僕のドライブでは思い切り質が違いますし、習得するための期間も違います。




ここで別の話に移ります。


以前の会社で(今も?)、僕は「仕事」出来ない人でした。


というのも、その会社での「仕事」が良く分かってなかったんですね。


もっと細かく言うと、部署での自分に求められる仕事を認識できていなかった。


今、思い返せばいわゆる普通の会社だったので

ザックリ言うと「ミスしないで言われたことをきっちりこなす」

これが一番大事だったんですけど、自分が思う「こうしたほうがいいんじゃね?」とかを実践していたので、経験もなければ能力もないのでミスしまくってたんですね。

たまーに良いことしても、それ以上にマイナス面が出ちゃってるんでダメってことですね。(いや、そりゃどこでもそうなんすけど)


ここで何が言いたいかというと

仕事ができるできないはその会社のやり方や文化によるってことです。


その背景だったり、意図をくみ取るのがとてつもなく下手だったので仕事ができないままだったというわけですね。


まあ、言われたことをしっかりこなす。というのがそもそも上手じゃないので汲み取ったところで仕事はできないままだったでしょうけど(笑)


卓球はある意味評価基準がフラットなので「勝てば」上手いってのが分かるんですけど(学校単位で上手いのか全国単位で上手いのかはありますが)


仕事というのは色んな会社があって、色んな文化があって、色んな作業があるので

ここでの自分の「仕事」は何なのか?

それを見つけて、そこに見合った能力を身につけたり適性がある場合に「仕事ができる」となるんだなと今は考えています。



話が脱線しましたが、


何となく「ドライブ」「ツッツキ」みたいな語句はあっても、形がボンヤリとしたものは


自分でまず形を作ることが大事になる。


そしてそれを共有することが大事かなと思います。