コメントをいただきました。
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Xiaさんが「居つかない」というところで「踏ん張らない」と言ってましたが、フォアハンドでループドライブを打つ時などに「右足でグッとためて」というのは相反する動作のように思えますが、どう考えればいいのでしょうか?
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コメントありがとうございます。
今までの卓球指導とは真逆のことを言ってるわけですね。
混乱を招いたり、そうやって指導している方の批判になるので大手を振って絶対そうなんや!と言うつもりはありませんが、
古武術卓球の布袋先生、古武術の甲野善紀先生、高橋佳三先生、バランストレーナーの小関勲先生に身体操法を習い、自分で検証しての結論は
今までの卓球指導界に伝わってた情報と反対の事が多々あります。
例えば、こういうこと。
真っ向から対立するつもりはありませんが、Xiaって良いこと言うなーと少しでも思うなら、
自分が習ってることと比べてみる。
今回で言えば、踏ん張った方or踏ん張らない方
どちらが楽に下回転のボールが持ち上がるのか?
結局、自分で腹に落ちなければ実行はしないので。
私自身、誰かを実際に継続的に指導ということはしてませんが
誰でも上達する
ということに関しては相当勉強しているつもりです。
ただ2回目になりますが、押し付けようとは思いませんがね。
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ただし、『下半身の力』と揶揄される、股関節の内旋・外旋動作(“腰を回す”と例えられている動き)、股関節伸展動作(指揮者デスカット動画で「背中の力」と言われている動き)を阻害しない範囲で行っているのだと思います。
言い方を変えれば、「股関節の~動作の邪魔をしない筋肉だけを、踏ん張らせている」と。
その大前提を把握しないまま下半身全てをガッチガチに力ませようとするから、「センス・運動神経が無い」と言われる類の選手は、上手くボールを飛ばせないんだと思っています。
そもそも「踏ん張り方」に個人差があるにも関わらず言葉だけを真に受けて、自分オリジナルの踏ん張り方で、何度も誤ちを繰り返す…。
それが、「卓球が熱心な割に上手くならない人」に当たるのだというのが、私の現時点での考えです。
だから私は、「とっても卓球の上手い〇〇さんが言っていたから」という風潮が嫌いです。
その人の真意を汲み取ったり、解剖学・力学的なところから核心を突き止めようともしない、間違った感覚で言葉を受け止め、それが全てであると勘違いを繰り返す。
根拠も述べずに抽象的表現をドヤ顔で言う指導者、それを盲信して考えようとする姿勢のない生徒たち…それが、草の根層の底上げの停滞する要因であると危惧しています。
「スポーツを通しての教育」という観点から見ても。
ですので、「他と比べて練習しても上手くならない」という選手ほど、抽象的表現を用いるワンポイントレッスン動画や、常識とされている言葉を盲信すべきではないと考えます。
定義の無い言葉ほど、その真意を突き止める必要があるのではないでしょうか。指導者も、選手側も。
「うまくなる」ことについて、どういったルートマップを頭の中に描けているか…このあたりは他人の真似事で始めてもよいと思うけど、そこからいかに自分に最も合うやり方を探せるか、になりそうだなと。探せるのは自分しかいないわけですし。
個人的には、他業界からアプローチした卓球技術というものは、興味深く面白いものだと感じますが、このような内容を情報の1つとして柔軟に受け入れられない人達へどう伝えるかが大変そうですね。
そういう人達にこそ聞いてもらいたい内容がXia論法にはてんこもりなのですが......。
テレビゲームの必殺技コマンドじゃないんですから(笑)
と言っても、「溜める」という表現が全く間違っているわけでもないと思うんです。
実際に意味するところは、
「打点を遅らせてもう少し自分の体に引きつけてから」だったり
「自分のしようとするフォームの通りに実際に打つために必要な時間を確保できたときに」だったりするのでしょうが、
それを「溜める」と表現したほうが、結果的に伝わることもあるでしょうから。
上手な選手が自分のやり方を言葉で表現するとき。
言葉で人に伝わるとき。
伝えられた側が言葉の通りに実践しようとしてみたとき。
ざっと考えても、言葉でスポーツの動きを伝えようとしたときに、
3段階も誤謬が発生する箇所があります。
言葉で何かを伝えようとすることはそれだけ難しいということです。
教わる側としては、この際最重要なのは結局、
うまく打つための動きができるかどうかでありますから、
教える側が発した言葉、言葉そのものにあまりこだわっても仕方がないということだと思います。
以前にも話題になりましたが、たまたまそのときは、たくさんの言葉を尽くした説明よりも
擬音指導の方ががしっくり来て動きが再現できたということだってあるわけですからね。