コメントをいただきました。
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  • 身体操法を学ぶようになって疑問に思ったことなのですが、その「疲れる練習」を繰り返すことで、本当に効率の良い身体の使い方を身につけられるのか?ということです。

    例えを出しますと、膝関節しか使えていない選手がその練習をやることで自然と「股関節」の動作を身に付けられるのか?という話です。
    布袋先生のおっしゃる、「下手くその動作を一生懸命やっても、下手な動作がそのまま上手くなるだけ(いずれ頭打ちになる)」になるのではないか。

    あくまで、「疲れる練習」をやったことのない人間の疑問なんですけどね(笑)
    ちゃんと自分で試してみてダメだったら、「身体操法が身に付いてないヤツがこんな練習しても無駄だったぞ!」って文句言えるのですが(笑)
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質問ありがとうございます。

質問いただいた記事はコチラ

やはり、文字で情報を正確に伝えるのは非常に難しいことだなと痛感します。と自分に多少の言い訳をしながら、捕捉をしたいと思います。


疲れる練習やキツイ練習自体には何の意味もないとワタクシも思います。

それこそ

疲れる練習やキツイ練習というのは量(時間)さえこなせば誰でもできます。




以前の記事は動きの最適化を目指すということにあたって


無駄を取り除く作業をやりたい


そのためのキツイ練習や負荷をかけた練習を行うという意味合いです。







速く動く

とか

大きく動く


ということに関して「無駄」があるから間に合わない、そのポジションに間に合わない


それを半分無理やり取り除く作業がキツイ練習になったりするわけですね。



で、自分で考えてとか原因を突き止められる人間ばかりじゃないですよね?


だから考えて考えて間違った方向に行くくらいなら


こういう動きの最適化方法もアリだよ。っていう記事です。






下手くそが固まる状態というのは、それこそ無駄を取り除く適性負荷がほとんどかけられていない状態や全然ムリな負荷で長く練習することなんじゃないかと思います。


ただ、フォア打ちをやる、バックをやる

こういうときに起きやすいのかなと。

止まって打つときには基本的に身体的負荷というのはかからないので、こういった状態の練習を長く続けてしまいがちなカテゴリの人たちは下手くそが固まりやすいかもしれません。


それこそガネさんもフットワークとかをやったことがない

だから裏ソフトを使った、いわゆる普通の技術を使った時に変な状態からのスタートになっているのではにかと推測します。


ですので、質問の疲れる練習をやるだけでは効率の良い身体の動かし方は身に付かないと思います。


キツイ練習をして効率的な動きを身に付ける段階としては


●ボールの速さに追いつく練習

→追いつけない

→探す

→疲れる、勝手に見つかる、見つける

→疲れて力が入らない、楽に身体を動かしたい

→効率的な動きの発見や習得


こんな感じかなと。





練習に意図がない

ただ、フォア打ちをやる、バックをやる

これではただの「立ち疲れ」が起きるだけかと思います。



あくまで方法の違いです。


私もたくさんの卓球人と接してきましたが


説明しても「?」マークだけが浮かぶ人もいますし

スッと入る人もいます。

逆にやって見せて、真似してもらうとか見様見真似の方が好きな人もいます。


一番よくないというか、どうしようも出来ないのは

説明しても聞き流すとか分からない、理解しようとしない

じゃあやってみるかでも「キツイ、そんなの出来ない」

単純に頭や言葉でも理解しない、身体でも分かろうとしない

これではコミュニケーションとかお互いの人間性の問題になってくるので

お互いのことを分かるところからか、もしくはお客さんとして相手にできないかですね。(笑)


というわけで


練習に目的がある(動き的に)

適性負荷がかかっている

疲れて力が入らない状態になっても練習を続ける

ことが下手くそを固めないために重要なのかなと。


高校の先生から

「きつくなってからが本当の練習」という格言をかなりの頻度で言われてましたが

精神的にも肉体的にも本質を突いているかもしれませんね。(笑)

まあ、本当に100%の正解を求めるのであれば

それは頭で考えるとか調べるとかの知的好奇心の部分が必要になるのは間違いないと思います。