先日、ユーザーさんが蘇我店に来店され色々と話し込みました。

→その方のブログ 

その中で

「出来る人は出来ない人の気持ちが分からない」について、色々と話す時間がありました。

その件について、電車の中で色々と考えていたのですが

逆もそうだ!と。

「出来る人は出来ない人の気持ちが分からない」
「出来ない人は出来る人の気持ちが分からない」

そもそも、他人なので気持ちを共有することが難しいのではないかと考えました。(もう、卓球が出来るとか出来ないとかそんなん関係なしに)


というか、ほとんどの出来る人と出来ない人はお互いの気持ちなんて本当に理解しようとも思ってないと思った。


(まあ、それは置いておいて)


ただ、ここで問題というか「お金を報酬として教える人」だったり「真剣に教える人」は出来ない人の気持ちは分からなくてもなぜ出来ないかを出来ない人にキチンと説明できる必要があるだろうということ。

(まあ、道楽とかノリで教えて「出来ない人」を無駄に苦しめるというのも一つの罪であるような気はしますが、それも置いておいて)


出来ない人は出来る人に比べて「何かが不足」しているから出来ないのであって、それを推測することは出来るけど、少ない試行回数で自分を正解に導くことは難しい。


逆に出来る人は「何かが出来る」ということに関して、その条件を満たしているから出来るのであとは出来ない人の「何が不足しているか」それを一所懸命探せば、「出来るまで」の時間を大幅に短縮できる。要はここに至るまでにお金を払うってのがレッスンだと思うんですが、たぶん「習えば上手くなるんやろー、勝てるようになるんやろー」という気持ちで受けてる人が多いような・・・

(まあ、それも置いておいて)


そして、「出来る人」の擁護を少しするのであれば


「出来る人」のほとんどが「出来ない時間」が短く、いつの間にか出来てた。

長い時間をかけて自分で出来るようになった。

細かく教えられていない。

こんな人が多いので、「出来ない出来ない」言うんじゃなくて「聞くだけじゃなくて打たないと出来ないんだけどな・・・」

そんな気持ちの人もいると思う。


まあ、私自身も考えないでいっぱい練習してたらいつの間にか「出来ちゃった」系なので(トッププレーヤーには遠く及びませんが)


出来ない人の気持ちというのが「分かる!」とは言えません。


ただ、一般の方と交流することで「出来る」と「出来ない」の「間」

「なぜ出来ないか」というのはそんじょそこらの人より深く考えている自信がありますので、そういった発信を続けていきたいと思います。