質問をいただきました。
-----
何か少し違和感を感じます。
サッカーのリーグ戦ならば、勝ちと負けと引き分けとがあり、同じ勝ち負けでも得失点差が影響することもあるので、「勝つ」と「負けない」にはハッキリと差があります。
他のスポーツでも、同様のケースはあると思います。
しかし、卓球においては勝つと負けないは同じことなのでは??団体戦も含めて。
Xiaさんが今回おっしゃっているのは、
ハイリスクで短期で結果の出る打ち方と、
ローリスクで長期戦に持ち込む打ち方と、どちらを多用していくか、ということなのではないでしょう
岸川選手と対戦なさったときの例では、「実力的に大きな差がある相手に対して勝つには、一か八かで攻めるしかない」という意味に取れました。
逆に言うと、ローリスクな打法で長期戦に持ち込むほど、本来の実力差通りの結果になりやすいと言えるでしょうか?
だとすると、勝ちたい戦い方をしているように見える選手たちというのは、だいたい相手を自分よりも格上だと思っているのでしょう。
実際に相手が格上の場合にはそれでも仕方が無いのでしょうが、
そうでもない場合には、もったいない結果に繋がることがありますよね。
ということは、大事なのはまず相手と自分との実力差の正確な把握でしょうか?
-----
コメントありがとうございます。
記事はコチラです。
試合で勝つことを考えるのか、負けないことを考えるのか
流石、Xia論法ブログのコメントと言うべきコメント、長文なので、自分なりに咀嚼すると、卓球において、引き分けはないから「勝つ」と「負けない」は一緒。
そう考えたときに「勝つ」戦い方と「負けない」戦い方を知る前に相手との力量差をしっかり把握することが大事なのではないでしょうか?
Xiaさんが「勝ちたい」戦い方をしてるなと見えて、「負けない」戦い方をすれば勝てる確率が上がる、いわゆるもったいない試合をしている人は「勝つ」戦い方をしなければいけないと思ってそうやってるのではないでしょうか?
こういうイメージで捉えたので(間違ってたらすいません)
対戦相手が「格上っぽい」か「格下っぽいか」判断する方法をまずはちょっと紹介しようかなと思いますが、、、非常に難しいですね。
思いついたのは
・過去の実績
・対峙したときの雰囲気
くらいかなと。
ただ、この「格上っぽい」「格下っぽい」というのを頭に入れすぎると経験上、あまりよくないと思います。
というのも、ワタクシ自身、九州のド田舎出身なので、雑誌に出てくる本州の方々を「大きく見すぎていた」んですよね。
高校3年の時、目標にしていた創部3年目でインターハイ団体ベスト8!
くじ運もよく、8決定まで進み対戦相手は当時超名門の上宮(大阪)
僕はトップで全中3位入賞した原田慎吾選手(上宮→早稲田→信号器材)と対戦。
しかし、自分の心境としては「いやー、よくここまで来たな」
「てか、メンツ的に厳しすぎるやろ。あっちエリートでこっち誰もおらんやん。」「しかも原田って、、、ボコられたくないなぁ」
2-2。
「あれ?原田ってこんなもん?」「もっと強いんじゃないん?」「俺なんかが勝っていいんかな?」
最終的に5セット目はボコられ。
3番で出たダブルスも2-2。
「あれ、上宮のエースダブルスってこんなもん?」「尾久八幡のエースに広島のアイツやったらウチら普通に勝てる要素ないやろ」「てか、まった勝ってしまうかもしれん。」
結局8で負けました。
まあ、何が言いたいかというと「相手をあまり上に見すぎてもいいことはない」ってことですね。
正直、上宮の過大評価補正がなかったらチームとして僕が1本は取れてた、または2本取りが出来たと思います。
自分で言うのも何ですけど、「いい意味でも悪い意味でもマジメで良い子ちゃん」だったんですね。
これを僕は自分で「勝っていいのかな?」現象と呼んでいます。
「コンフォートゾーン」とも言うみたいですね。https://biz-shinri.com/comfort-zone-7934
認知科学の苫米地さんや脳科学の茂木さんが説明しているので、たぶんそっちの用語なんでしょう。
勝っていいのか?現象は「俺みたいな田舎者が上宮・原田慎吾に勝っていいのか」ということを自分で許可することが出来なかったんだと思います。
これが許可出来るようになったのは専修大学に入学してから徐々にですね。
最初は「専修大学」の看板が重くて重くて何もできなかったんですが、とある試合で先輩から
「お、しも、次はだれとや?」
「〇〇です。」
「楽勝やな。」
「いや、アイツ上宮ですよ。中学とか高校の時から比べたら格上ですし」
「しも、お前アホか?ウチらはな専修やぞ。先輩たちが築いてきた名門・専修!2部に負けてどうするん。そんなんじゃレギュラーなんか一生なれんわ」
こういう言葉をいただいて、「俺は専修大学なんだ」「2部になんか負けちゃダメなんだ」「1部のレギュラーを目指す奴がベンチに負けちゃダメなんだ」そう思えるようになってから、力が少しづつ出せるようになってきた気がします。
コンフォートゾーンが1段階か2段階上がった状態ですね。スポーツ的に言えば、「アイツ一皮むけたな」的な。
最後の全日本学生選手権では早稲田のレギュラーコンビ(原田選手)に勝つことが出来、ベスト32に入ることが出来ました。(それでも真面目君でコンフォートゾーンは低いままでしたが)
正直、こういう体験をもっと早くしたかった。そうしたら自分の結果はもっともっと変わってたんだろうなと思います。
ただ、田舎でそういう環境もなかった(自分の実力を客観的に判断する場所や人がいなかった)ので仕方がないとも思いますが。
なので「格上」と思いすぎてもダメだし、もちろん「格下」と思って油断するのもダメですよね。
このように卓球が「上手くなる」「強くなる」
そして「相手に勝つ」という部分はどんどん難易度が上がりますし、必要なこと(技術やメンタル)なども多く必要になってきます。
最初に引き分けがないスポーツという表記がありますが、「勝ち」か「負け」という1対1の優劣がハッキリ別れてしまう残酷なスポーツだと思うので、人間的にも強靭な何かを持ってないとそれなりに勝って活躍するというのは難しいスポーツだなと感じます。
-----
何か少し違和感を感じます。
サッカーのリーグ戦ならば、勝ちと負けと引き分けとがあり、同じ勝ち負けでも得失点差が影響することもあるので、「勝つ」と「負けない」にはハッキリと差があります。
他のスポーツでも、同様のケースはあると思います。
しかし、卓球においては勝つと負けないは同じことなのでは??団体戦も含めて。
Xiaさんが今回おっしゃっているのは、
ハイリスクで短期で結果の出る打ち方と、
ローリスクで長期戦に持ち込む打ち方と、どちらを多用していくか、ということなのではないでしょう
岸川選手と対戦なさったときの例では、「実力的に大きな差がある相手に対して勝つには、一か八かで攻めるしかない」という意味に取れました。
逆に言うと、ローリスクな打法で長期戦に持ち込むほど、本来の実力差通りの結果になりやすいと言えるでしょうか?
だとすると、勝ちたい戦い方をしているように見える選手たちというのは、だいたい相手を自分よりも格上だと思っているのでしょう。
実際に相手が格上の場合にはそれでも仕方が無いのでしょうが、
そうでもない場合には、もったいない結果に繋がることがありますよね。
ということは、大事なのはまず相手と自分との実力差の正確な把握でしょうか?
-----
コメントありがとうございます。
記事はコチラです。
試合で勝つことを考えるのか、負けないことを考えるのか
流石、Xia論法ブログのコメントと言うべきコメント、長文なので、自分なりに咀嚼すると、卓球において、引き分けはないから「勝つ」と「負けない」は一緒。
そう考えたときに「勝つ」戦い方と「負けない」戦い方を知る前に相手との力量差をしっかり把握することが大事なのではないでしょうか?
Xiaさんが「勝ちたい」戦い方をしてるなと見えて、「負けない」戦い方をすれば勝てる確率が上がる、いわゆるもったいない試合をしている人は「勝つ」戦い方をしなければいけないと思ってそうやってるのではないでしょうか?
こういうイメージで捉えたので(間違ってたらすいません)
対戦相手が「格上っぽい」か「格下っぽいか」判断する方法をまずはちょっと紹介しようかなと思いますが、、、非常に難しいですね。
思いついたのは
・過去の実績
・対峙したときの雰囲気
くらいかなと。
ただ、この「格上っぽい」「格下っぽい」というのを頭に入れすぎると経験上、あまりよくないと思います。
というのも、ワタクシ自身、九州のド田舎出身なので、雑誌に出てくる本州の方々を「大きく見すぎていた」んですよね。
高校3年の時、目標にしていた創部3年目でインターハイ団体ベスト8!
くじ運もよく、8決定まで進み対戦相手は当時超名門の上宮(大阪)
僕はトップで全中3位入賞した原田慎吾選手(上宮→早稲田→信号器材)と対戦。
しかし、自分の心境としては「いやー、よくここまで来たな」
「てか、メンツ的に厳しすぎるやろ。あっちエリートでこっち誰もおらんやん。」「しかも原田って、、、ボコられたくないなぁ」
2-2。
「あれ?原田ってこんなもん?」「もっと強いんじゃないん?」「俺なんかが勝っていいんかな?」
最終的に5セット目はボコられ。
3番で出たダブルスも2-2。
「あれ、上宮のエースダブルスってこんなもん?」「尾久八幡のエースに広島のアイツやったらウチら普通に勝てる要素ないやろ」「てか、まった勝ってしまうかもしれん。」
結局8で負けました。
まあ、何が言いたいかというと「相手をあまり上に見すぎてもいいことはない」ってことですね。
正直、上宮の過大評価補正がなかったらチームとして僕が1本は取れてた、または2本取りが出来たと思います。
自分で言うのも何ですけど、「いい意味でも悪い意味でもマジメで良い子ちゃん」だったんですね。
これを僕は自分で「勝っていいのかな?」現象と呼んでいます。
「コンフォートゾーン」とも言うみたいですね。https://biz-shinri.com/comfort-zone-7934
認知科学の苫米地さんや脳科学の茂木さんが説明しているので、たぶんそっちの用語なんでしょう。
勝っていいのか?現象は「俺みたいな田舎者が上宮・原田慎吾に勝っていいのか」ということを自分で許可することが出来なかったんだと思います。
これが許可出来るようになったのは専修大学に入学してから徐々にですね。
最初は「専修大学」の看板が重くて重くて何もできなかったんですが、とある試合で先輩から
「お、しも、次はだれとや?」
「〇〇です。」
「楽勝やな。」
「いや、アイツ上宮ですよ。中学とか高校の時から比べたら格上ですし」
「しも、お前アホか?ウチらはな専修やぞ。先輩たちが築いてきた名門・専修!2部に負けてどうするん。そんなんじゃレギュラーなんか一生なれんわ」
こういう言葉をいただいて、「俺は専修大学なんだ」「2部になんか負けちゃダメなんだ」「1部のレギュラーを目指す奴がベンチに負けちゃダメなんだ」そう思えるようになってから、力が少しづつ出せるようになってきた気がします。
コンフォートゾーンが1段階か2段階上がった状態ですね。スポーツ的に言えば、「アイツ一皮むけたな」的な。
最後の全日本学生選手権では早稲田のレギュラーコンビ(原田選手)に勝つことが出来、ベスト32に入ることが出来ました。(それでも真面目君でコンフォートゾーンは低いままでしたが)
正直、こういう体験をもっと早くしたかった。そうしたら自分の結果はもっともっと変わってたんだろうなと思います。
ただ、田舎でそういう環境もなかった(自分の実力を客観的に判断する場所や人がいなかった)ので仕方がないとも思いますが。
なので「格上」と思いすぎてもダメだし、もちろん「格下」と思って油断するのもダメですよね。
このように卓球が「上手くなる」「強くなる」
そして「相手に勝つ」という部分はどんどん難易度が上がりますし、必要なこと(技術やメンタル)なども多く必要になってきます。
最初に引き分けがないスポーツという表記がありますが、「勝ち」か「負け」という1対1の優劣がハッキリ別れてしまう残酷なスポーツだと思うので、人間的にも強靭な何かを持ってないとそれなりに勝って活躍するというのは難しいスポーツだなと感じます。
コメント
コメント一覧 (3)
ベスト8決定戦で、前回の大会で良い成績を残している人と当たったんですが、その時に最初から諦め気味で試合に臨んでしまい、セット数2-2になった時に「強い人にこれだけ競る事が出来ればもう十分だろう」という考えが頭の中に浮かんでしまい、最終セットはあっさりと取られてしまいました。
逆に、ある時に県ベスト4くらいの強い人に当たった時にその人が強い人だと知らずに挑んだらセット数3-1で勝利できた経験もあります。
やはり最初から「勝てない」や「勝てる」と決めつけずに試合に挑めば自分が思った以上の結果を残すことができると考えています。