興味深い動画を見つけました。
元全日本チャンピオン、ロンドン五輪銀メダルの平野早矢香さんが「生きた球、死んだ球」について語っている動画です。
動画内で平野さんは「生きた球とは自分の打ったボールの回転が残っているボールです。」
そしてワタクシの以前の記事
生きた球、死んだ球
生きたボールとは
平野さんは死んだ球については特に何も言ってませんでしたが、
生きた球以外は全部死んだ球という認識になるのでしょうか?何となく話を聞いているとそれも違うような雰囲気でお話しされていますが・・・
まあ、日本のトップ・世界のトップで活躍されていた平野さんが言っていることなので間違いはないと思います。
自分の2つの記事も一所懸命考えて書いた記事なので参考にしていただけると幸いです。
元全日本チャンピオン、ロンドン五輪銀メダルの平野早矢香さんが「生きた球、死んだ球」について語っている動画です。
動画内で平野さんは「生きた球とは自分の打ったボールの回転が残っているボールです。」
そしてワタクシの以前の記事
生きた球、死んだ球
生きたボールとは
平野さんは死んだ球については特に何も言ってませんでしたが、
生きた球以外は全部死んだ球という認識になるのでしょうか?何となく話を聞いているとそれも違うような雰囲気でお話しされていますが・・・
まあ、日本のトップ・世界のトップで活躍されていた平野さんが言っていることなので間違いはないと思います。
自分の2つの記事も一所懸命考えて書いた記事なので参考にしていただけると幸いです。
コメント
コメント一覧 (3)
生きた球、死んだたま、と言うと、説得力のあるように聞こえますが、
実際には、人それぞれ、あるいはその時々によって、定義や、どういうつもりで使っているのかという意図が違う、ということです。
むしろ、そういう定義が曖昧な言葉を、人に教えたり説明するときに、十分な補足説明のないまま使うほうが問題なのだと思います。
生きた球などと言わずに、
自分の回転が残った球、
マシンではなく人間が打った球、
単純に回転や速度が優れた球、
定形練習ではなくランダムな球、
試合で相手が点を取るために考えて必死で打ってくる球、
のように、最初から、こういう意味で言っていますよと、わかるように言う方が、言葉の選択として良いように思います。
ただ、この「生きた球」について述べている状況が、水谷選手は「意識高い系の人たちに向けて、本でじっくり述べている」のに対し、平野さんは卓球の知らない一般ピーポーに向けて簡潔に説明しているところがあり、二人の考えをじっくり聞くことが出来れば、意外と差異が無かったりするのかもしれません。
(平野さんの話は、端折りすぎて物足りなさを感じていました。)
個人的な感覚ですが、多球練習で身につけることはイメージと身体の動きの合致。
一球練習は技術間の連動です。
自分の回転が残るということは相手の返球を自分がコントロールできるということです。
大きな板にラバーを貼り付けた壁に向かって、壁打ちしてみてください。
あれこれ考えるより、まずは身をもって回転を知ることが初級者には必要だと思います。
そうすればXiaさんや平野さんがおっしゃる意味に近づけると思いますよ。