質問をいただきました。
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  • 今僕は部活の練習仲間との意識の差に悩んでいます。簡単に言うと自分と同じ、もしくは上の意識でやってくれる人がいない、指導者もいない、そう言った感じです。私が今心配しているのは、そういう人達とする練習は無駄な練習となるばかりか、悪い癖や弊害を生んでしまうのではないかという事です。幸いなことに部活とは別のクラブのような練習場所では卓球の事をよく知っている方から指導を受ける事ができています。
    前者のような状況の場合でも効果のある練習はできるのでしょうか?それとも練習はしない方が良いのでしょうか?
    卓球に関するというよりも個人的なこととなってしまい申し訳ないとは思いますが、練習効果のある練習とは何なのかについて答えて頂けるだけでもとても助かります。
    宜しければ回答の方をお願いします。
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コメントありがとうございます。

とってもとっても難しい問題ですね。

まず上達に対する意識が違うだけなのか?それとももはや卓球に対してやる気がないのか?
この部分でも結構違うんですけど


部全体が卓球に対してやる気がないのであれば、質問者さんだけでどうにかするというのは
相当難しいことだと思います。

先生や、キャプテンなどその場所で地位が高い人を仲間にしながらだったり
自身が先輩になってだったりとその場所の空気全体を変えていく活動からしていかなければいけないと思うので。。。

こういう場合、練習がとか悪い癖がどうとかというより
そもそも「練習」や「部活」というものが成り立っているのか
どうか怪しいレベルです。


で、上達に対する意識が違う場合。
全員がそれなりに練習をしてくれるといった場合には
自分自身の意識で上達する練習は可能だと思っています。


というのもその部活における立ち位置で上達における意識というのはそもそも違う。
ということが言えると僕は思っているからです。

単純に「エース」と「団体戦に出るかどうかギリギリのメンバー」
これは上達に関しての意識は違うと思います。(まあチームがしっかりしてるなら一緒かもしれませんが)

私自身、中学校の外部コーチをしていた父親によく言われていたことが
 
2015-08-31-08-50-57




































「お前が、チームメイトとやっても練習にならんと思っとるなら人間もまだまだやし
そもそもお前が下手くそっちゅー話やな」

「自分が練習になるように頭使ったか?」

「相手が返せるようにボールをコントロールしとんか?そこまで神経使ってねえやろうが」


まあ、要するに

「自分に負荷をかけて練習しなさいよ」
「環境に文句を言う前に出来ることはあるんじゃないの」
てな話だと思うのですが

フットワークを対人練習するときも

「相手がブロック出来るようなポイント、ボールの威力をコントロールする」
→相手が動かなくてもラケットを出しとけばブロック出来る状態

これだけでも自分の練習になります。

打ち方を学ぶ、強く打つ、ラリーを続ける以外に細部までこだわればいくらでも練習になると思います。特にトッププレーヤーは僕が想像もしないところまで細かい部分に拘って練習していると思いますし。(水谷選手は調子の良いとき4cm単位でコースを狙えるらしい)


そしてこれは卓球から得た話ではありませんが練習の種類は基本的に2つしかないそうです。

「意識してもできないことを、意識することでできるようにすること」

「意識すればできることを、無意識にできるようにすること」 


そして私のほうで卓球の練習の難易度をピラミッド型にしたものがこちらです


上達ピラミッド
 















今自分(チーム)がどの位置にいるのか?

それは無意識で出来るのか?

これである程度把握できるかと思います。

この記事が何かの参考になれば幸いです。