おはようございます!
以前も書いたのですが、結構この悩みは多いようです。
http://xia.diary.to/archives/44228430.html
で、この悩みを急にどうこうしようとしても無理なのではないかと考えています。
どうやって解決すればいいのか考えてみたところ、これが根本解決だなと。
それが「考えるな!感じろ!」ということで
上の人は
「ボールの行方を目で追いかけないと分からない人」
下の人は
「自分の打球感覚で打った瞬間に分かる人」
これは正直「戻りを速くする」とかでは解決にしないと思います。
結局「ボールの行方を見なきゃ入ったかどうか分からない」なら見るしかないので。
上級者と呼ばれる人たちは長時間や厳しい練習に耐え
打球感覚が磨かれ、打った瞬間に「入ったか入らないか」分かる人が多いです。
そういう人たちと同じように動く、戻りを速くするのであれば
やっぱり「入ったか入らないか」感じるようになることが先だと思います。
これは~~しようという話の問題ではなく
日々培われていく能力なのかなと感じています。
以前も書いたのですが、結構この悩みは多いようです。
http://xia.diary.to/archives/44228430.html
で、この悩みを急にどうこうしようとしても無理なのではないかと考えています。
どうやって解決すればいいのか考えてみたところ、これが根本解決だなと。
それが「考えるな!感じろ!」ということで
上の人は
「ボールの行方を目で追いかけないと分からない人」
下の人は
「自分の打球感覚で打った瞬間に分かる人」
これは正直「戻りを速くする」とかでは解決にしないと思います。
結局「ボールの行方を見なきゃ入ったかどうか分からない」なら見るしかないので。
上級者と呼ばれる人たちは長時間や厳しい練習に耐え
打球感覚が磨かれ、打った瞬間に「入ったか入らないか」分かる人が多いです。
そういう人たちと同じように動く、戻りを速くするのであれば
やっぱり「入ったか入らないか」感じるようになることが先だと思います。
これは~~しようという話の問題ではなく
日々培われていく能力なのかなと感じています。
コメント
コメント一覧 (4)
例えば歴史でも年表を丸暗記するのが「お勉強」とは違う、みたいな話で(それは極一部でありそれだけではない)。これは「フォームはこうしろ」みたいな話で
お勉強も感覚と予測を養い、働かせる事が主要な作業となっていると
だからスポーツできないのと勉強できないってのは根っこは大差ないんじゃないのと思うんですよね。改めて思いますね